かしこまったことはC’s Condoで書こうと思うので今日は個人的な思いを書きます。
理科の教員とどちらか悩む程度になりたかった
これは本当です。
田舎育ちで公務員や専門職以外の会社員である大人が周りにとても少ない環境だったので何か資格は取りたかったのですが、高校1年生の頃は文系で法学部に行って司法書士等の士業になるか(無駄に現実的で弁護士は原則大学院に行かないとなれそうにないので諦めていた、行政書士を認識していたかどうかは覚えていない)、理系で理学部等に行って理科の教員になるかで悩んでいました。自分の興味が理系のほうに大きく傾いていたのと、司法書士等は法学部に行かなくても試験に合格したらなれるものがほとんどということからそのときは理系を選びました。
私にとっては過去に選ばなかったほうを改めて選んだだけというところです。人間は現世に生きながら転生でもやり直しでもできるも同然なので、「大人になってからの職業を一つに絞らないといけない」「どちらも捨てがたい選択肢で迷ったときにどちらかを捨てないといけない」とはあまり思い込まないほうがいいのかもしれません。高校1年生の時に悩んでいた2つは両方叶いました。
そういえば教員の頃に生徒のモニターとして受けた適職診断でも「弁理士」「司法書士」「行政書士」あたりが教員に比べてはるかに適性がありました。当時は複雑な気持ちでしたが今なら納得がいく気がします。
手続をスムーズに進めることに快感を覚えるド変態である
前々からその傾向はある気がしていましたが、明確に自覚したのは結婚による改姓のときです。
なぜあれほどまでに人から(特に現状で改姓することの多い女性から)嫌がられているのかわからない、それどころか選択的夫婦別姓なんかより結婚に際して双方が改姓するのが最適な解決策とすら思っているのですが、どうやら私が手続をスムーズに進めることに快感を覚えるド変態だっただけらしいです。すみません。
「手続をスムーズに進めることに快感を覚える」など教員であった当時はとても人様のために使える能力ではないと考えていたので、手続を代理できる行政書士は私にとって魅力的に感じました。快感を覚えると言っても過言ではないのですが、より適切には「手続をスムーズに進めることに苦痛を感じない」「多くの人々が苦痛に感じることが苦ではない」といったほうがいいかもしれません。どちらかといえば「楽しいこと」よりも「多くの人にとって苦痛だが自分にとってあまり苦痛ではないこと」を仕事にしたほうが長い目で見て続きそうな気がします。
士業の入り口のような存在でありたい
行政書士は士業の中でははっきり言って専門性が低いです。しかし、専門性が低いというのは必ずしも悪いことではありません。
行政書士が扱うことができるのは「官公署に提出する書類その他権利義務又は事実証明に関する書類の作成」で、「その業務が他の法律において制限されているもの」を除くすべての業務です。「他の法律」は主に他士業の根拠となる法律で、行政書士はそれらを読み込んで他士業の専権業務に抵触しないように気を遣っているはずです。それらの制限されているものをを除いても数千から1万種類もの書類の作成を扱うことができるとされています。多すぎて誰も具体的な数字を把握していないと言われるほどです。
だからこそ、どの士業に依頼すればいいかわからないことはとりあえず行政書士に相談して、行政書士ができることは行政書士が、といっても行政書士もそれぞれ得意分野が異なるので本人にできないことは他の行政書士を、そして行政書士にできないことはそれぞれに適した士業を紹介できる、そういった存在になりたいです。専門性の高い他士業にはその専権業務に専念してもらうために、専権業務からこぼれるような細々した雑用は行政書士が引き受けるという気持ちでありたいと思っています。