こんなに焦りや緊張を感じているのは2011/03/09(大学の合格発表前日)以来です。現役高校生のときは諦めがついていたのでそれはそれで。
合格発表前日に書くにふさわしいというか書かずにはいられないというかということとして、とりあえず「勉強」をテーマにいくつか見出しをつけて雑感を書いていきたいと思います。中には結果次第ではちょっと読み返すと恥ずかしいこともあるかもしれませんが、それはそれで。
勉強とは低課金でいかに戦略を練るかを競うゲームである
「勉強に重課金したら負けだと思っている」とも言う。親にそんなひどい育てられ方をされたなど身に覚えがないのに少なくとも大学卒業まではいかに低課金で成果を出すかを親孝行だと思い込んでいたし、親には「私立大学に行かせるお金はたぶんないから国公立大学ならどこでもいい」くらいに言われていた。おそらく幼稚園から大学まで(国)公立だと私たち家族で課金しなかった分は随分と税金のお世話になってきたのだろうが、それはそれで。自分がお金や労力をかけない分のツケがあからさまに他人に回らない限り問題ないと思っている。
目標も実家の財力もめざましい才能もなければとりあえず勉強を頑張るに越したことはないし、目標ができたときに後悔しなくてすむ。
「大学入学まで」「大学〜元職場」「退職〜資格試験」の3期で戦略が違ってくるので分ける。
〜大学入学
・ずっと公立
・高校入試で私立に出願すらしていない(親は念のため勧めていたが私が「お金がもったいない」と言った)
・塾、家庭教師、通信講座の利用経験皆無
・それどころか学校斡旋以外の参考書を買ったこともない(既に使わない人からもらったことはある)
・大学入試で私立に出願すらしていない(親は行けなくても受けるのくらいは勧めていたが私が(以下略))
・浪人はしたものの予備校でも宅浪でもない第三の選択(これはそのうち1投稿書けるかもしれない)、実質公立予備校のようなものなのでかなり割安だった
大学〜元職場
・「どうせ同じ学費なら教員免許を取ったほうが学費の元が取れるもの」という不純すぎる動機で教員免許の取得を目指す。教員としての心構えは後からついてくるもの。
・「どうせ同じ学費なら高校だけではなく中学の教員免許も(以下略)」、ちなみに他の教科もそうだが理科は特に高校より中学校のほうが教員免許の取得にかかる労力や単位取得の難易度は大きい。
・教員免許を取るのに要した費用(教科書、教育実習、収入証紙etc)と就職活動に要した費用を足しても10万円未満
・こんな価値観の人間が元職場(私立学校)と相容れないのが目に見えているのになぜか就職が決まってしまった
・大学生の頃に関する現在の後悔「どうせ同じ学費なら二重登録とかを駆使して4年間で200単位くらい取って卒業すればよかった」
退職〜資格試験
・「同じ資格試験(の同じ級)に2回以上受験料を払ったら負けだと思っている」、これは本来中学生や高校生の頃からそうで、英検なども同じようにして合格してきた。例外は簿記2級だがリベンジの予定がないので原則は守られている。それもCBTの本番体験費用(言い方)だと思えばそれはそれで。もうなるべく一発で受かれない試験は受けたくない。
・「受験料以上の費用を学習に使ったら負けだと思っている」ので、知財検定のような受験料が高い試験だとそれどころか3級・2級合わせて10分の1ちょっとに収まっているのだが、受験料が安い割に範囲が広い行政書士試験は至難の業だった(行政書士試験「のみ」に用いる教材では一応予算に収めた)。基本は無料or有料のアプリやサイトや公式の過去問、市販の参考書のみを用いて独学。通信講座とか資格予備校とかは本来もってのほかだが、例外としてコロナ禍での先行きが不明な時期にFP2級の受験資格を得るための通信講座を受講した。通信講座を受けることなんてあれで一生で最初で最後になればいいのに。
・現状、お金がわりとかかるというその一点のみにおいて教員免許更新をしたくない。更新制自体がなくなるかもしれないとの報道もあるが、今後の動向やいかに。
この「勉強とは低課金でいかに戦略を練るかを競うゲームである」「勉強に重課金したら負けだと思っている」は私が勝手に自分自身に対して課している縛りのようなものなので、他の人が数十万円とかそれ以上を資格予備校にポンと払って資格試験に挑むこととか、私立大学の医学部医学科は6年間で注文住宅が建つような学費であることについては別に何も悪いことだとは思わないし、他の人が勉強に重課金しているのを負けだとも思わない。ただ自分がそうしたいから勝手にそうしているだけである。しいていえば子供を育てるのにはきっと私は全く向いていないだろうとは思うが、今のところいないし予定もないのでご安心いただきたい。
元職場を退職した理由
退職するまでに追い詰められた理由は結局上で書いた特殊な価値観によるところが大きい。
私立学校はレベルを問わず勉強にお金をかけることを本人や家族がいとわないことが多いので、そこの価値観がすり合わず蓄積していったストレスは大きく、これは元職場にも私にも非がないと思う。しいていえば私がそちらに歩み寄る努力が足りなかったとは思う。
関西とは状況は随分違うが、地元でも私立高校に進学する生徒や家庭の特徴というと「公立高校であまり専門的に学べない音楽や美術の道に進みたい」「いわゆる内申点が低く公立高校入試に不利だけれど経済力には余裕があるのでなんとか大学に進学したい」ということは少なくなかったと思う。
性差は学力に関係するか
私に言えるのは、少なくともそれなりに勉強ができる人には「性別なんて死ぬほどどうでもいい」と思っている人がわりと多いということだけである。私自身がそうであることはもはや言うまでもない。両性愛者(バイセクシャル)または無性愛者(詳しくはNHKドラマ「恋せぬふたり」で知ることができる)の傾向のある人(本人に自覚があるかそうでないかは不明)もおそらく世間一般より多いと感じた。正反対のようで共通するのは、やはり性別なんて死ぬほどどうでもいいということだろう。
ただ、性別なんて死ぬほどどうでもいいと思ったからといって勉強ができるようになるわけではないのも付け加えておく。
それなりにレベルの高い中学校や高校には未だに男子校や女子校が多いのだが、私は「男女別学のほうが性別で差別することも役割分担することもなく、かえって男女平等な意識が育つ」という可能性をなんとなく信じている。
自分が敵に回しやすいであろうタイプ
同志社大学はセンター試験で最初に受かったのですが、そのあとは緊張の糸が切れてしまって、そのまま同志社大学に決めました。
成功の理由は大半が運、だけど売れるために最低限必要な要素はある
カズレーザーさんのお言葉(好きすぎるかよ…)。
まるでなんでもないことのような発言だが、同志社大学に一般入試で受かった人(あるいは落ちた人こそ?)からすれば複雑な気持ちになりかねないかもしれない。
しかし私はどちらかといえばカズレーザーさんのように、自分の身に起こったことや自分の身の回りであったことや自分の考えを、自慢もせず誇張もせず、ただありのままになんでもないことのようにウソのない言葉で表現できるようになりたいし、既にそうしようとしている。
憧れるのは結構だしそういった表現に好感を持つ人もいるのだろうが、こういった表現のスタイルは特に劣等感が強い、または虚栄心が強いタイプの人からはとても反感を持たれやすいと思う。そういった人から反感を持たれるのはそれはそれで仕方ないし、既に持たれてるような気がする。
結局
明日になるのが怖い…。
本日のサムネイルは受験生応援花手水。私も受験生には変わりない。