昨日のブログだけでは伝えきれないところを動画にしました。
声と外見は文章だけでは簡単には伝わりにくいところですが、動画にしたことで伝わりやすくなったかと思います。
動画内でも簡単には触れていますが、「声が突然低くなって歌える曲がなくなったり喋ること自体が怖くなったりした」と「男性の骨格に女性の体脂肪がついたような体型に成長して着られる服の選択肢が少なくなった」は、時が経て解決しましたがかなり切実な悩みでした。
今日新たに考えることとなった(本当は前から思っていたがさらに考えさせられた)思うところを書いて、フォトエッセイに対して思うことについての話題は一旦完結したいと思います。性別に関する疑問自体は生涯ついて回る気がします。
販売記念トークショーの配信で、仮面ライダーゼロワンでも中山咲月さんと共演していた砂川脩弥さんが「日本に限らない世界共通のことで、ぜひ同じような悩みを抱える、またはこういった概念をよく知らない日本以外の人々にも他の言語で読んでもらいたい」という内容のことを述べておられました。しかし、これはかなり困難なことだと思います。
日本は制度面ではジェンダー平等やセクシャルマイノリティについて遅れていると槍玉に上がることが少なくありません。しかし、文化面で本当にそうでしょうか。もっと具体的に言えば、文化どころか日常生活と切っては切り離せない言語面で本当にそうでしょうか。
私はFacebookの性別と恋愛対象の欄を非公開にしているのですが、これには理由があります。恋愛対象はあまり日本語は関係なく、簡単に言うと「バイセクシャル」「男性が対象」「女性が対象」「無性愛」の4つしか選べない(もしかして男性と女性両方にチェックを入れられることや両方を外せると知らない人もいる?)のですが、厄介なのが性別です。
性別を「カスタム」にしようとすると、「私のアイデンティティは…」として性別を自由記述する欄が表示されます。私の場あえて既存の用語で言えばXジェンダー、ノンバイナリー、クエスチョニングあたりですが、心身ともに両性の発達をしたので何かどれにもあてはまらない唯一無二のものである気がします。
問題は、代名詞の性別を選択する欄が出てきます。「女性(she/her等)」「男性(he/him等)」「中性(they/them等)」から選択します。

はーめんどくさ!
英語というかヨーロッパ系の言語圏は全部それだと思います。英語以外では、名詞にすら男性・女性の区別があるとかもう全く別の次元で面倒です。日本語では、高校で「舞姫」を読んだ方はわかるように、かつては性別問わず三人称に「彼」を用いていた時代もあり、三人称代名詞としての「彼」「彼女」を現代でも翻訳文以外であまり積極的には使いません。
以前こういった翻訳記事を読んだときも、扱ってほしい性別をたずねるマナーとして「相手に代名詞を聞くこと」なることが出てきてやはり面倒に感じました。
関連リンク:ジェンダーとは女性と男性の二択ではない! 「ノンバイナリージェンダー」について知っておこう。
また、外国人(英語圏以外も含む)が英語で日本人に連絡を取るときに「さん(-san)」という敬称が使われ、日本人とやりとりをすることの多い外国人の中では性別を限定しない敬称として知られているそうです。外国人が日本語を学ぶ上で、「さん」「様」「くん」「ちゃん」などを性別ではなく、相手の年齢、相手との関係、その場の慣習(国会議員、慶應義塾の教員などを公に「くん」付けで呼ぶならわしなど)で使い分けているのは混乱することが多いのかもしれません。一人称も性別や立場によって多様ではありますが、「私」については特に大人になれば男女どちらも公の場で使うには好ましいとされています。
こう考えると、日本語は性別にとらわれない表現をする、例えば性別が不明だったり断定されたくなかったりする相手に敬称をつけて連絡をとったり話をしたり、創作において性別に関する叙述トリックを文字通り一切ウソをつくことなく表現したりすることには向いています。「無性愛」では中山咲月さんの一人称による語りが多いとはいえ、外国語に翻訳したとして、細かいところまで日本語のままのニュアンスで受け入れてもらうのは困難に思えるところもあります。
白と黒のその間に
Mr.Children「GIFT」
無限の色が広がってる
君に似合う色探して
やさしい名前をつけたなら
ほら 一番きれいな色
今 君に贈るよ
私たちそれぞれに「一番きれいな色」があると思う人生だった(完)。