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作家は体験したことしか書けない


という古典的なジョークがあります。少なくとも私は古典的なジョークだと思っているのですが、そう思っていない人が意外と多いようです。

「暴力的・性的なアニメやゲームは現実と創作の区別がつかない子供に悪影響」なる言説は昔からありますが、残念なことに実際には大人になっても現実と創作・演出の区別がつかない人はわりと多く、犯罪にまでなるのはごく少数とはいえ、迷惑行為を起こす人はいます。

まだインターネットのない頃は、ドラマで悪役を演じた俳優への誹謗中傷や嫌がらせが絶えなかったと聞いたことがあります。現代ではさすがにドラマの役柄と現実の俳優本人の区別はつけられる人が多いようですが、バラエティで悪役を”演じた”タレントに対して現実の本人と区別がつかず、取り返しのつかない事態に追い込んだことが大きな波紋を広げました。

先日、バラエティ番組のトークである俳優が”体験談”という体裁で出演者へのアンケートにも記入し語ったことの最後に、「すべてウソです」というネタばらしをしていました。ネットの掲示板やTwitterに出回るコピペや与太話のような内容で、ネット上なら多くの人がウソと見抜いた上で面白おかしく扱うようなことでしたが(現代では厳しいかも…?)、”体験談”を聞くという体裁の地上波のバラエティ番組ではあまり受け入れられなかったようです。

かつての「うそはうそであると見抜ける人でないと難しい」という言葉を免罪符の如く扱う人がいますが、これは見抜いた上で多くの人が楽しめるうそについてのみ通用すると思っています。また、うそだと見抜ける要素を最初から仕込んでおくことも大切で、人に不快感を与えるようなものに後出しで冗談とかうそとかいうことは免罪符にすらなりません。

このように、現実と創作の区別がつかない人が無駄な怒りを感じたり、あるいはその怒りの矛先を他人に向けて迷惑をかけたり、区別がつかないことをわざわざ免罪符のように掲げたり、ということはいろいろなところで起こっています。

「作家は体験したことしか書けない」というのは今でこそ古典的なジョークのような扱いだと思っていましたが、これを文字通り受け取ってしまうと現実と創作の区別がつかない人に何か言われているようで気分が悪いですね。

かくいう私自身は高校、大学と創作の端くれのようなことをやってきましたが、『xxxless paradigm』としてやっと形にすることができました。高校生くらいまでは「完成したものでないと人に読まれたくない」みたいな気持ちがありましたが、連載として書きながら方向性を模索していくのも悪くないですね。
当然ながら作者が体験したわけではない、というより体験できるわけがない、でも確かに自分の今までの体験をベースにしないと、性別が「ない世界」という発想を形にすることはできなかったと思っています。主人公が遠慮なく常識をぶち壊す発言をするので不快な気持ちになられたら申し訳ありませんが、ぜひ読んでみてください(宣伝)。

Posted in 文章執筆・創作

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