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読者の視点と登場人物の視点の違いを利用するということ


サムネイル画像はただの無印の黒い表紙のノートですが、やはり何か特別なものに見えてしまいますね。※10年以上前の作品なので今更ですが、DEATH NOTE原作第一部終盤のネタバレを含みます。

ストーリーは非常に有名だと思いますが、とりあえず「死神の目を持っているとその人の顔を見たときに本名と寿命が見える」「ノートの所有権を放棄したらノートに関する記憶を失い、再び手にしたら記憶が戻る」というルールが今日の話題では重要です。

DEATH NOTE第一部のクライマックスでライトがノートの記憶を取り戻したあと、page.55で記憶を失ったままのミサにライトがノートの隠し場所を教える描写がありました。

SNSの発達した現代にこの漫画があったらまた違う世間の反響があったかもしれませんが、当時のジャンプ感想ブログでは「ついにLが詰んだか」という反応が多かったと思います。ミサは死神の目を持っていて、ノートの所有権を失う直前に訪れた大学で、(少なくとも表面上は)恋人であるライトを捕まえ処刑しようとしている宿命の敵、Lの本名を見ていました。何が言いたいかというと、「デスノートの記憶を取り戻したら当然にLの本名の記憶も思い出すだろう」というのが多くの読者の共通見解でした。

ところが、これは”読者の視点”から見た当たり前に過ぎないことでした。
その次のpage.56では、「ノートの記憶を取り戻したがLの本名は思い出せない」というミサの姿が描写され、多くの読者の予想が裏切られました。

”読者の視点”から見ればLは明らかにライトの敵ですが、顔も本名も、一切の素性を隠しているLが普通に大学構内で目の前にいるなど、”登場人物の視点”であるミサが気づくはずもありません。一応、「本人が名乗った名前と見えている本名が違う」という違和感はあったようですが、その違和感が描写されていることすら読者の予想を裏切るための伏線にすぎなかったようです。

「読者の視点と登場人物の視点の違いを利用して読者の予想を裏切る」という、あまりに見事な手段にしてやられました。小説では”叙述トリック”という言葉があるくらいでわりとありふれた手段ですが、絵で描写する必要のある漫画では使いにくい表現方法だと思います。

連載中の小説で試みていますが普通に初心者には難易度高いので、きっと大場つぐみ先生には隠されたキャリアがあるに違いないと思いますが、結局その謎は未だに明かされずじまいですね。『DEATH NOTE』では作風もありひた隠しでしたが、『バクマン。』でもはや公然の秘密と化したところはあると思います。

あと、原作とストーリーや結末は違いますが映画は素晴らしい実写化でした。後編まで見ると今回のノートの記憶云々の話もあります。プライム会員でも有料なのでご注意ください。2015年版の実写化は知らん。

デスノートとは一切無関係で作風も全然違いますが、プライムで見れるらしいのでデスノートのような頭脳戦は見ると疲れてしまうような何も考えたくないときに見たいです。デスノートとは一切無関係です(大事なことなので2回言いました)。

Posted in 文章執筆・創作

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