テレビの教養番組で「日本語の誤用」を扱うとき、よく出てくる言葉の一つに”確信犯”があります。
現代では、本来は誤用とされる「悪いことだとわかっていながら行われた犯罪や行為」を表すのがもはや誤用とは言えないほど一般的な意味であり、5年前の調査では実に70%近くがこのような意味だと思っていることがわかったそうです。
それもそのはず、本来の意味は「道徳的、宗教的または政治的信念に基づき、本人が悪いことでないと確信してなされる犯罪」(デジタル大辞泉より)であり、思想犯・政治犯など、思想の自由が他人の権利を侵害しない限り保障されている現代の日本ではそもそも使う必要のない死語と言ってもいいような犯罪を表す言葉だからです。とはいえ、現代でもテロ行為のような大量殺人事件で犯人の動機が本来の意味の”確信犯”に近いこともあるのですが、一般的な意味と誤解されるのを防ぐためか、マスコミなどでこの言葉を使用することは避けられる傾向にあるようです。
しかしそんな重大事件でなくても、現代には本来の意味の”確信犯”のような人が増えてきている気がします。
俗に”自粛警察””マスク警察”などと言われているような人たちは、本人たちに「正しいことをしている」という意識があると考えられているからこそ、俗に”警察”という言葉をつけて呼ばれているのだと思います。元々、”確信犯”という言葉の説明に思想犯・政治犯が使われることが多いのですが、現代の日本でそのような犯罪者が現れることが想像しがたく、これが”確信犯”という言葉の本来の意味から人々が遠ざかっていった理由だと思っています。
おそらく現代の日本で宗教的・政治的な信念による犯罪はそうそう起こらないと思うのですが、偏った道徳的信念に基づいた犯罪や犯罪まがいの行為は現代にも決して少なくないと思います。とってつけたような造語を広めるのではなく、今こそ”確信犯”という言葉を本来の意味で活用するときではないでしょうか。